はじめまして!入間市の整体癒し処ゆうひ代表佐藤知幸のプロフィールです。

埼玉県入間市の整体癒し処ゆうひ代表佐藤知幸

佐藤 知幸(さとう ともゆき)

 

1988年9月生まれ(32歳)
青森県出身。
妻と小学5年・4年の息子との4人家族。
パパとして日々子育てと仕事奮闘中です!!
昔からかなりの敏感すぎるタイプ(HSP)です。

 

資格や勉強してきたこと

  • 仙台操体医学院認定操体師
  • 多次元操体法基礎講座3期生卒
  • 埼玉県操体法講習会受講
  • 小池術 経営・繁栄術講座受講
  • 心屋塾初級セミナー受講
  • 心屋塾上級ワークショップ受講
  • EFTプラクティショナー
  • 直傳靈氣
  • 総合手技療法師
  • 足ツボ反射療法師
  • 理療整体認定
  • ツボピストA級認定
  • その他の手技療法多数
  • 製菓衛生師(お菓子の国家資格です笑)

 

上にも書きましたが、私は青森県出身、小学生の2人の息子がいる31歳です。

 

そして、大きい音が苦手で、涙もろく、人混みも苦手、いくら楽しくても外出後はすごく疲れるような超敏感(HSP)タイプの人間です。

 

昔からそんな感じのなので、社会の中では生きづらさしかなかったです。

 

当時は知らなかったけど、「普通だね」と言われることに喜びを感じていたように思いま。

 

普通を目指す努力をし、普通が出来ないと自分をものすごく責め、繊細さや敏感さのある本当の自分を捨てながら過ごすうちに、自分の感情や意見もわからなくなる始末。

 

そんな風に生きてきた私は、ある時をキッカケに『自分と向き合う』ということを始めました!

 

 

私(佐藤知幸)のこれまでをできる限り簡単にしてまとめてみましたので、よかったら読んで頂けると嬉しいです。(すみません、長めですm(__)m)

 

整体癒し処ゆうひは、こんなこんな人がやっています

超神経質で体に不調がよくでていた子供時代。青森で育つ

代表子供の頃
秋田県の病院で生まれ、青森で18歳まで育つ。

 

大人しく、人見知りで無口、保育園でのお遊戯会では主役に選ばれたのですが、会場のざわざわした雰囲気が嫌で始まるまでずっと泣いて「イヤだ、出たくない」と駄々をこねていたのを今でも鮮明覚えています笑。

 

5歳の時には、小児喘息で入院し、そこから喘息と長い付き合いが始まりました。

 

小学生時代は、身体の不調と敏感さが際立つ

小学生になると、喘息と結構な頻度で起こる強烈な頭痛に悩まされるようになり、過敏性腸症候群も始まります。

 

ちょっとした変化や刺激に敏感で、米の銘柄が変わるだけで「臭いから食べない!」と言ったり、タオルの質感や場所の空気感や雰囲気、音にも敏感で、自分に合わないと気持ち悪くなってしまうこともよくありました。

 

人(特に親)の表情や声、発する言葉の選び方、物の置き方や動き方を見て、今の機嫌を察知して先回りし、機嫌をとったり喜んでもらう為に手伝いをよくやっていました。(保育園時代から)

 

 

だからなのか、友達や人には恵まれ友達がいつも家に遊びに集まったり、(友達)お母さん方から可愛がられていたのですが、ただ、自分を抑え込んでいるストレスも多く、家では度々切れるという子でもありました。(物にあたるタイプで大事なものをいくつも壊しました)

 

中学時代は、目のまえの景色が暗く、先生の恐怖に不登校になる

不登校時代
中学時代は不登校生活。私の闇の時代です。

 

初めのうちは友だちも増えすごく楽しかったのを覚えています。

 

ただ1年生の後半から行かなくなりました。

 

 

その大きなキッカケは部活動。その時やっていた部活動(野球)の顧問は厳しいと有名な方だったんです。

 

私は小学生の時から野球部だったので入学してすぐ野球部へ。すぐ1年でレギュラーになり試合にも出させてもらていたんですけど、練習中のあるシーンが気になって常に頭から離れなりました。

 

それは、厳しい顧問が2〜3年生にケツバットをしているシーン。

 

 

当時はもう体罰は問題視されていたはずですが、そこでは普通に行われていました。

 

そのシーンを見て自分がやれているわけではないけど、自分のことのように怖くて辛くてショックで。

 

 

そんな状態で、(毎年恒例)秋に喘息の発作が起こり部活を休むようになりました。そしてそこから学校も行けなくなりました。

 

 

不登校の時期は地獄でした。家庭内も大荒れでしたし、当時はまだ学校にいけない子への理解は今ほどなかったので、私自身が「学校へ行かなくなった人は大人になっても生きていけない」と、人の道を外れてしまったような気がして、中学生ながら自分の将来は終わってしまったと考えていたのを覚えています。

 

 

その間、担任の先生や友達が動いてくれ、少しずつ教室へ戻れるようになって、なんとか無事地元の高校へ行けることになりました。

 

高校時代は、元気で精勤賞と学校長賞をとる

中学校時代に、たくさんの人に迷惑をかけたのもあって、高校は何が何でも頑張るぞ!と意気込んで通いました。

 

勉強と部活にも打ち込み、田舎の高校なのでレベルは低いと思うのですが私としてはすごく頑張ったと思える時期。

 

特に悪い思い出もなく、心身ともに楽しく過ごしていました。

 

 

ただ、繊細・敏感は健在ですので、人と関わりすぎるとグッタリしたり、テスト前やテスト中に腹痛でトイレに何度も行ってはいましたw

 

たまに頑張り過ぎて、思考停止状態になり人に見えないところで泣くことはよくありました(笑)

 

 

最終的には、3年間で半日休みがあっただけで他の日は休まず行き、商業系の1級の資格取得数だけで言えば県内で上位十数名の中に入ることは出来き、精勤賞と学校長賞を頂きました。

 

結構頑張ったと思うw

 

 

社会人になり、良くも悪くも転機がやってくる

20代前半でうつ病になる

 

高校卒業後、埼玉県内のお菓子屋へ就職。
(20歳で結婚し、ここで働いている時に2人の子供が生まれました)

 

モノづくりは好きだったから楽しい部分もあったけど、朝が早く、なにより社内のピリピリ感が苦痛でした。常にみんなイライラしている職場だったんです。
(イライラしてる人のピリピリは肌を通して胸が痛くなるから苦手です)

 

 

そして、頼まれごとを断れないタイプなので、頼まれたら「やります!、やります!」と仕事を受けてしまうので、気づくと心身ともに消耗してるなんてことも多かったです。

 

ストレスから段々とご飯が食べられなくなって、1日全く食べないという日が続くことも増えていました。

 

 

段々と身体もおかしくなってきて、小学生時代にもあった頭痛がまた出るようになったり、下痢と便秘を繰り返したり、瞼の痙攣も止まらない状態が続いたり。

 

めまい耳鳴り手足の極端な冷え、家に帰ると倒れるように寝てしまう。(夕食の時間も寝落ち)

 

逆流性食道炎、腰椎椎間板ヘルニア、坐骨神経痛、様々な不定愁訴。書き出すとキリがない身体の不調が出てきました。

 

 

休みのたびに病院へ検査しに行くけれども、特に原因も見つからなくて、先生からは「気にしすぎ、考えすぎ、そんなんじゃこれからやっていけないよ」と聞き覚えのある言葉を何度もかけられました。(診察券が山のようにあったw)

 

 

病院が嫌いになり、この時期はその症状や健康にいいもの(サプリや健康グッズなど)、健康体操やトレーニング手あたり次第にこれ良さそうあれ良さそう!と、焦りや不安を消すために取り入れていました。

 

結果的にお金と時間だけが消費されて変わらなくて、より一層鬱々としていきました。

 

 

そのうち精神的に限界が近づいてきて、笑うことも減って、今度は眠れない時も出てきて、眠れたと思っても何度も目が覚める睡眠障害に悩まされるようになりました。

 

 

で、そんな毎日を過ごしていると、毎日の家を出る前のトイレ中に涙が止まらなくなり、ある時玄関で強制終了がやってきました。

うつ病

 

そして、
うつ病と診断されました。

 

 

ここからが第2の人生!『本当の自分と向き合う』ことが始まりました。

この整体との出会いが、私の生き方に変化を与えてくれた

うつ病になって数ヶ月、薬を飲みながら人と会うというリハビリの為に整体の学校へ通い始める。(昔からの不調で健康に興味があったのと、人の役に立てると思ったから)

 

この時は、とにかく人会うのが怖くて、中学時代の不登校の時のように「うつ病になった人はこれから普通(幸せ)に生きていけない」と思っていて、人からの目がすべて冷たいものに感じていた時です。

 

当時は薬に頼るしかなくてとりあえず言われた通り飲んでいましたが、頭はボーっとするのに効いているんだかわからなくて、時間が経つにつれて焦る気持ちと苛立ちが増していた時。

 

だけど、父親(子供2歳と0歳)としてこのままじゃなダメだとも感じていて、止まってはいられないという想いで怖いまま整体の学校へ通うことにしました。

 

 

まだまだちょっとのキッカケでドカンと心が落ちる状態で、薬の副作用で人とすれ違うと意識が一瞬飛ぶこととか一日動けなくなることもあったけど、それでも奥さんに協力してもらいながらできる限り続けて通い無事卒業することが出来ました。。

 

家では気分の浮き沈みが極端すぎて、奥さんにはかなり迷惑をかけてしまって。(今もかな?笑)

 

 

そしてこのあと、現在の私の整体土台であり、生き方の土台でもある操体法にこのあと出会いました。

 

操体法と師匠との出会い

操体法という整体があるのはネットで調べて知っていて、それを習いたくて埼玉で探し見つけてのが私の師匠の整体院。

 

操体法の師匠

 

うつ病の治療中だった私は、学ぶことだけじゃなく、身体のケアと心のケアも兼ねて施術の予約を入れ伺いました。

 

 

最初に驚いたのは、

 

自分の快適な感覚(気持ちいいなど)を味わうと身体は楽になるんだよ

 

というシンプルな原理原則。

 

 

最初にこの操体法の理論を知った時は、「(自分は)こんなに大変な思いもして、病院も薬も色んなものを試しても楽にならないのに、快適な感覚を味わっただけで良くなるわけない、、」と、正直心の中では疑っていた部分もありました。

 

 

はじめて操体法を受けた時そんな複雑な気持ちと同時に、

 

自分の感覚を聞いてくれるの?それも自分の感覚を言っていいの?!

 

子供の頃から人の気持ちを優先して生きてきた私にとって、自分がどう感じるかを言うことは戸惑う言葉でもありました。

 

 

 

でも、思い切って、

 

「右に膝を倒すとイイかもしれません、、、」

 

と自信なさげに答えてみました。

 

 

すると施術を受けた後、身体の軽さや目のまえの明るさの変わったんです。

 

この時、私の価値観は少し変わりました。

 

 

その身体の変化はもちろんのこと、

 

今まで言っちゃいけないと思っていた自分の意志(感覚)を自分の口から伝えて、それでいてポジティブなこと(身体が楽になった)が起こったことへの喜び。

 

そして、
自分の感覚を受け入れてもらえた、自分を表現できたということへの嬉しさ

 

そして、
自分の感覚を言っても良いんだとわたった時、ものすごく感動して、施術中に泣いたのを覚えています。

 

 

昔から繊細で敏感な自分の感性とか感覚っておかしいんだ、、、って思って抑え隠してた部分を、操体法を通して『出していっていいんだよ〜』と初めて受け入れてもらえた気がして安心した瞬間でした。

 

 

操体が私の日常の当たり前に

操体法は一人でもできるものだから、帰ってからも毎日何度も繰り返し繰り返しやるようになりました。

 

布団の中や畳の上、トイレの中でも車の中でも、食事中でも外出先でも、立っていても座っていても。

 

気づくと一日中どこでもやっていました。笑

 

 

最初のうちは、現状の身体と心の辛さを治したいという想いから始めたけど、途中からは今まで無視し続けてきた自分とじっくり話すような、自分を大切にできるような時間だと気づいてきて。

 

不思議と毎日過剰に感じていた漠然とした不安や恐怖心が減っていきました。(身体の声に気づいた時)

 

そうしているうちに身体の痛みや不調も気にならなくなり疲れやすさの度合いも変わってきて、いつの間にか精神的にも肉体的にもすごく楽になっていました。(身体と心が繋がっていると初めて体感した時です)

 

 

そして、このくらいの時期からうつ病の薬をやめようと動き出しました。だけど思っていた以上に離脱症状が大変で、、。

 

この時、操体法の『自分の快適な感覚を味わう身体は楽になる』ということを知っていたから断薬をやりきれたとも思います。

 

 

辛い時期を心身ともに助けてくれたのが、操体の存在。

 

心身ともに身動きが取れなかった状態から抜け出すキッカケをくれたのもそう。

 

 

私にとって、これから自分を表現してみようかなと思わせてくれたキッカケが操体との出会いだったんです。

 

 

操体を伝えていきたいと思ったのもこの出来事があったからです。

 

 

それから操体法を勉強を続け、本場の仙台の有名な先生の所へも毎月通い学ぶことも出来ました。

 

(その間、仕事4回ほど変わっています。リラクゼーション3件、レストラン1件、うつ病中で精神不安定だったこともあるけど、より組織の中で働くことが難しいと思うようになったのもこの時です)

 

ゆうひの開業と今

長いページをここまで読んで頂きありがとうございます。そろそろ終盤です。

 

2014年ゆうひ整体院(現在整体癒し所ゆうひ)を奥さんの実家にある茶室をお借りして開業することにしました。

 

ゆうひ整体院開業

 

右も左もわからぬままでしたが、組織の中で働くのは考えられなず一人でやっていくことを決めたんです。

 

 

そして、ここから順調に!、、、と言いたい所ですが、その後も色々とありました笑。

 

開業当初はまだうつ病の治療終盤でヒィーヒィー言っていましたし、辛いことも、トラブルもありました。

 

様々な出会い

 

だけど、思い返すと楽しかったこともいっぱいです。この6年は出会いも多くとてつもなく濃かった。うつで人見知りで引きこもりの私が、ひょうんなことから50人や100人位の前で話しをさせてもらうこおなんて思いもしなかったし。

 

書道家武田双雲さんの講演会でプチワークショップ

(書道家武田双雲さんの講演会でプチワークショップをさせていただいた時)

 

ゆうひのお蔭で沢山の経験をさせてもらっています。

 

ワークショップ

 

人生はこれから!私が自分を表現するようになって、、

私が自分を表現するようになってからまだ経験でいえば浅いです。

 

未だに失敗もたくさんありますし、気がつかないところで迷惑をかけてることもあるだろうし、批判を受けることもあります。
(繊細なもので、人からの批判には特に敏感でかなり落ち込みますw)

 

 

だけど、それと同時にそんな『本当の私』のことを応援してくれる人も出てきて、勇気づけてくれる仲間も増えました。

 

自分を表現するようになってから、出会う方が変わってきた感じです。

 

 

辛い事があってからのハッピーエンドと今言いたい所ですが、私の人生はまだ続く予定ですし、これからが私の人生の本番だと思っています。

 

この『繊細で敏感な自分』を表に出しても楽しく生きれるようにチャレンジもしていきたいなと考えています。

 

 

これから、

 

イイ人を演じて苦しいまま人と付き合って生きていく人生か、

 

最初は怖さもあるけどこれから本当の自分を受け入れてくれる人と出会う人生か

 

どっちがイイのかを考えたら私は後者を選んで生きます。

 

 

繊細さん、敏感さんで不安や恐怖心を感じやすいけど、他の人が感じない部分で感動したり、楽しむことが出来る

 

繊細さと敏感さをフルに発揮して、少しのことでも感動したり、楽しんでいけるような自分で在りたいです。

 

 

こんな自分だからできる楽で豊かな人生を生きる』ということをテーマにこれから歩んでいきます。
※楽=リラックス、エンジョイ

 

 

私と同じように、繊細で敏感なあまり心身に不調が出やすい方、自分を表現することが苦手で自分を抑え込んでいる方のお力になれたら嬉しいです。

 

こんな私ですがよろしくお願い致します。

 

長いページを最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

 

お会いできる日を楽しみにしています。

こんな私がゆうひでお待ちしています!

 

実家青森の夕日

整体癒し処ゆうひ

佐藤 知幸

 

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11歳と9歳の2児の現役パパ

子供

当時小さかった子供たちは順調に大きくなっています。

 

我が家で恒例になっていることがあります。私が子供たちの誕生日やクリスマスにケーキを作ることです。

 

※歴代のケーキたちを少しご紹介↓

誕生日ケーキ1

 

誕生日ケーキ2

 

誕生日ケーキ3

 

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