はじめまして、佐藤知幸です。周りからはとっちゃんやとも先生と呼ばれています。
このページでは、まだ佐藤知幸のことを知らない方も多いと思うので、自己紹介をしたいと思います(^ ^)
整体院『整体癒し処ゆうひ』を埼玉県入間市小谷田で開業し、整体セッションや自分を癒せるようになる為の教室などを中心に、『病院では異常のない慢性的な不調』を抱えた頑張り屋さんの体と心サポートをしています。
今は整体院さんやボディーワークを行う方が沢山いますが、他との違いとして、”体と心の両方”を大切にしていることと、症状と戦わないで、症状は本当の自分からのメッセージとして受け取ってみるという所です。
クライアント様は、女性の方が多く、頑張り屋さん、繊細気質で人の為を思う優しい方もとても多いです。
繊細気質や優しさゆえの生きづらさを抱えているという方も多いので、そのような方のサポートをしています。
かれこれ開業11年目に入り、一般的な整体院とは異なり肉体面だけでなく、精神面も含め、お一人おひとりと長く関わらせて頂いています。
整体セッションを受けた方達の変化としては、
○1年以上めまいやパニックで仕事が出来なくて悩んでいたのが、半年ほどで好きな仕事を始められた!
○2年以上原因不明の体調不良で家事も出来ず寝込むことが多かったのが、3カ月後に普通の生活が出来るようになった!
○半年ほど前から自律神経失調症で聴覚過敏で外出することが辛かったのが、1カ月ほどであまり気にならずに外に出れるようになった!
(変化には個人差があります)
ですとか、肉体面の変化以外にも、
○自分に優しくできるようになってきた
○自分を信じることができるようになってきた
○整体セッションなのに、彼氏が出来て、結婚も出来た!(笑)
という精神面の変化や思ってもみなかった日常の変化を喜んでいる方も多いです。
プライベートなことでは、私には中学3年と中学2年の二人の息子たちがいます。(写真は結構前のです笑)
私自身、有り難いことに元気に過ごせていることが多いのですが、子供のたちのこととなると、楽しいこともあれば、思い悩むこともあります。
先日も次男の部活動のことで、家族みんなでものすごく悩む出来事があったんです。
大事な存在がどうしようもなく悩み、落ち込む姿や周りの対応などから、どうしても許せないことがありました。
そんな時は、一緒に悩むし、許せないことが思っていた以上にストレスとなっていたようで、私自身のメンタルも体の調子もガタガタに崩れてしまったんです。正直、うつ病が再発したのかな…と思う程、心が動かなくなってしまった日がありました。
以前であれば、不安が膨らんで抜け出せなくなっていたと思います。
だけど、私の心の中には『大丈夫』とどこか思えている自分がいたんです。だから大丈夫でした。
大丈夫と思えた理由は、子供の頃から不調や心の苦しさ・生きづらさを抱えてきた人間が『どうしたら自分の体や心と上手く付き合っていけるのか?』を学んで、実践し続けてきたから。
それが、繋がって『大丈夫だった』という経験を実際にしてきたからだと感じています。
人は生きていく中で、自分のことだけじゃなく、家族や社会、人間関係や仕事にお金のことなど、色んな環境下に置かれているからこそ、悩みは尽きないものなのかもしれません。
だからこそ大事なのは、『この自分とどう上手く付き合い、どう生きていくのか?』だと思うのです。
今ある悩みはな解決することはできるけど、悩むということは尽きないのかもしれない。
そんな時に、早く抜け出したり、元気に戻れたり、前に進める力があったら大丈夫だと私は思います。
整体癒し処ゆうひは、その力を育む場所・培う場所になれたらと考えています。
そして、そんないち人間として、いち父親として、人間らしく悩み・葛藤しながら、自分と向き合いながら過ごしている私だからこそ、人の気持ちが理解できるとも思っています。気持ちを楽にご来院頂けたらなと思うのです。
体の歪みを整え、心をほぐし、元気なあなたに戻ってもらうお手伝いを私がさせて頂きます。
今は仕事をしたり、家庭と楽しむ時間を過ごせている私ですが、以前は毎日・毎時間・毎分・毎秒、常に体の辛さや不安、落ち込んだりと悩み続けた日々を過ごしていました。
病院に行っても上手く治らないし、そもそも超絶ネガティブ人間で、モノゴトを疑ってみていくタイプだからこそ、生きづらさは結構ありました。
そういう経験があったからこそ、体と心のことを学び、この仕事に興味を持ったと思います。だからちょっと変わっている人のようです。自分ではわからないけど、そうらしいです笑
このあと以前の経験も少し紹介させて頂きますので、よかったら読んでみてくださいね。
整体セッション以外にも、
などの講師活動も行っています。
私は青森県出身です。高校までは青森県の海と山に囲まれた田舎で過ごしました。
自然は大好きでよく遊んでいたのですが、それがあったからなのかわかりませんが、変化や違和感にとても敏感な子供でした。いわゆるHSC・HSPと呼ばれる人かもしれません。
お米が変わるだけで匂いが変わったと言って食べなくなったり、服のタグが肌に当たるのを嫌がって怒ったりしてました。母親も大変だったでしょう。
季節の変わり目には、喘息や体調を崩したり、日常的に過敏性腸症候群、頭痛など、ストレスや気がかりなことが在れば、すぐ体調に現われるような子供でした。
よく休みの日は、激しい頭痛で悶えながら、目の前が光で見えなくなり、寝込むこともよくあったんです。
テスト前はトイレに駆け込み、授業中にもトイレに駆け込み、大変でした。最終的には手を挙げて授業中にトイレに行くことが慣れっこになってしまうほど。
トイレに行きたいという意思表示意外はあまりせず、お菓子をもらえるという時でも、他の人が好きなのを取るのを待ってから余ったものをもらうようにしていたり、自分の気持ちを表に出すようなことはありませんでした。
「大人しくてイイ子」
「真面目で優等生」
「優しくてクール」
そんなことを言われることが多くて、当時は喜んでいた部分もありましたが、一生懸命にそうあろうとしてたからこそ、イメージ通りになっていて嬉しかったんでしょうね。
今思うと、だいぶ無理はしていたし、息苦しさも感じていたのはわかります。
その反動で、家に帰るとモノに当たったり、親に暴言を吐いたり、些細なことでイラついたり。
よく親からは『二重人格みたいに変わるよね』と言われ、自分でもなんで止められないんだろうって、自分なりに気にして過ごしていました。
そんな私も中学生になり、初めのうちは新しい友達が出来て、楽しかった思い出もあったのですが、1年の秋ごろから段々と学校に行けなくなりました。
理由は、野球部に入っていたのですが、顧問の先生が怖い先生だったというのが一番のキッカケです。
ケツバットを上級生にしている姿を見て、私自身は何かされたわけでもないけど、ビクビクしてずっと練習に行っていました。
小さい頃から些細なことも気になり、ストレスにもそんなに強くない人でしたから、この世の終わりかってほど、恐怖で恐怖で。
部活だけじゃなくて、学校にも行けなくなったんです。
不登校が始まって、母親も泣いていたし、自分も「みんなは学校に普通に行っているのに、なんでその普通のことも出来ないんだよ。自分はダメだな…」って自分責めばかりで、布団の中で泣いて過ごしていました。
本当に辛い時期でした。
3年になるまで全然行けなくて、そこから少しずつ行こうとするようになって、担任の先生と友達には恵まれていたので、そのお蔭で卒業は出来ました。
高校では1日も休むことなく、悩みはゼロではないけど、楽しく充実した高校生活を過ごせました。まぁ中学から考えると行けてるだけで嬉しかったので、それがよかったと思う。
卒業後は、迷惑をいっぱいかけたから家を早く出て一人立ちしようと、地元の青森を離れ、埼玉県内のお菓子屋に就職しました。
モノづくりは昔から好きで、料理も好きでした。小学の頃からやっていたし、不登校中に自分のご飯を作って食べていたので、今度はお菓子作れたらいいなって入った会社です。
朝も早いし、結構肉体労働で大変でした。なにより働いている人がピリピリしてて、居心地が最悪だったんです。
辞めるのも周りの人に迷惑かけるし、結婚し子供もいたので続けていたのですが、次第に無理がきかなくなって、
慢性的な頭痛、めまい、耳鳴り、冷え、立ち眩み、瞼の痙攣、原因不明の発熱、下痢と便秘の繰り返し、動悸、息切れ、だるさ、睡眠障害、体重の過剰な減少:1週間で6kg減、アレルギー症状、喘息、焦点が定まらない、ぎっくり腰、4・5番の腰椎椎間板ヘルニア、坐骨神経痛、股関節痛、首の痛み、胸部出口症候群、肩の痛み・慢性のコリ、皮膚のかぶれ、
その他不定愁訴などの色んな症状が出てくるようになったていたんです。
休日は病院通いで終わることがほとんど、血液検査やMRI、CT、胃カメラなど、検査の予約も毎週あり、時間があれば『治してくれる病院がないか』と検索ばかりで、20代前半にして、診察券も山のようにある状態でした。
もう人生がつまらなく感じていたし、大げさじゃなく、この先に希望もなくて、何度命を終わらそうかと思っていたか。もうこの頃にはうつ病だったのかもしれませんね。
それから時間が経ち、とある日の朝。涙が止まらなくなり、思考も停止して、私は仕事に行けなくなりました。うつ病と診断されたのがその日です。
うつ病になって以降、色んなことが出来なくなりました。
人のことも信じられなくなりました。
お医者さんも薬も信じなくなりました。
家族さえ敵だと思うようになりました。
誰のことも信じられなくなって、優しさで話しに来てくれた人も、元気になる為に必要な本当のことを教えてくれてた人のことも、全く信じられなくて、ただイライラしてばかりになりました。
相手のことも何も考えられなくて、自分勝手になっていることにも気づかなかったし、だいぶ素直じゃなかったと思うんです。
自分でも自分のことがわからなくて、心の中で「誰か助けてー、変わってくれー」と叫んでいたように思います。
治らないという現状、やる気になれない現状、気持ちについてこない現状に、人に八つ当たりをするしかなかった状態で、家族にもたくさん迷惑かけたし、生きているだけで辛かったのがこの時期でした。
人に相談することも出来なくて、人を信じられなくもなっている私に、信じられる人が出来た出会いがありました。
仕事をやめてからうつ病治療の最中に始めたことがいくつかありました。その中のひとつが整体です。
正直、焦っていたので、何かできないかなと思って始めたのがはじまりで、整体の学校にも行けたり行けなかったりと、通うだけでも大変でした。
そして、ある出会いというのは、整体の学校での話ではなく、ひょんなことから『操体法(そうたいほう)』という整体療法を知ることがあって、その本を読みながらセルフケアを自力で実践していたのがキッカケです。
うつ病と一緒に椎間板ヘルニアでもあったから、どうにかできないかな?と病院にも行ってたけど、湿布にコルセット、電気にマッサージくらいで治る期待も出来ず、自力で治そうと思ってやっていたのがその操体法。
それで腰がだいぶ楽になったことで興味が湧いて、「どうやらこうやって歪みを整えると、体も心も良くなるっぽいぞ」とわかってから、その魅力にはまってしまったわけです。
簡単に言うと、『好きなことが見つかった』ってことなのかもしれません。それによって、操体法をちゃんと学びたいと思って、自分の体と心のケアも兼ねて、とある整体院に通うことにしました。
それが、はじめての師匠との出会いです。
はじめて心の内を相談するという経験や人の言葉に素直に耳を傾けられるようになったのは、師匠に会えたからでした。
これまでうつ病も体の不調も一生懸命治そうと頑張ってきたのに治らないということが続いて、どうしたらいいかわからなかった絶望状態にいた私に、少し光が射したのはここからでした。
そのキッカケは、師匠から言ってもらった言葉があったから。
その時に言ってくれたのは、
「体の症状や痛み歪みは、自分を守る為に出しているんだよ。
今ともゆきさんは、うつ病や体の辛さで悩んでいるでしょ。それもね、最初はともゆきさんを守る為に身体が出してくれたものなんだよ。
前の職場で、いっぱい頑張ってきたよね。自分を追い込んでまで、苦しくても、逃げないでやっていたよね。本当によくやってきたよね。
でも、ともゆきさん、辛かったんだよね。無理してきたんだよね。それはともゆきさんも感じていたでしょ?それでも当時のともゆきさんはどうしたらいいかわからなくて、苦しかったんだよね。
だから、『体さん』が代わりその場から離そうとする為に症状を出したり、「もう限界だよ。頑張りすぎてるよ。本当はそこに居たくないんでしょ」と、心の声にも気づかせようとしてたんだよね。
体は、ともゆきさんのことを守ろうとしてたんだよね。」
こんなことを教えてくれたんです。
今まで、症状に対して憎むことしか考えてこなかったし、戦うことしかやってこなかったけれど、「そうかぁ、守る為だったのか。だから、今までのやり方じゃ良くならなかったんだな…」と、納得できた瞬間だったかもしれません。
病院も何件も言ったし、薬だってたくさん飲んだし、毎日走りに行ったりもした。食事だって頑張ってやってみた。色んなことを試してきたのに、なんで治らないんだよ!って、いつも体に対して、自分に対して怒ってばかりいた。
それが、大事なことを見えなくして、違う方向に進んじゃっていたんだなってわかった時でした。
なんかわからないけど、施術を受けている間も涙が出てきて、体への感謝の気持ちが湧いて、自分に対して「ごめん」という想いが溢れてきたんです。
体にもそうだし、自分に対して厳しくしすぎていのかもしれない…
症状は悪者でしかないと思っていたし、なんで私の邪魔をするんだ!そう思っていたけど、そうじゃないのかもしれない…
そうか、体の症状って身体の声であり、その人の心の声でもあって、「今のあなたがどうしたいと思っているか」を気づかせようとするメッセージだったんだ。
そこから健康や体の症状、心のことへのイメージがガラッと変わりました。
子供の頃から自分を押し殺して、基本的に自分を追い込んで責めることばかりしていたし、中学の不登校の時もそう、社会人になってからもそう。
今に始まったことじゃないんだ。自分に対して、そうやって生きてきたんだな。
全部が繋がったような気がしました。
もうこれは、体のことだけじゃない、病気を治すということなんかじゃない、生き方を直していくことが私には必要だと感じたんです。
ここからやることが変わって、体調も心も動き出していきました。
※後ほど2016年〜2018年の間に、操体法の本場である仙台に通い、操体法創始者:故橋本敬三先生の晩年の直弟子である今昭宏先生、多次元操体法創始者:上川名修先に師事し学びました。当院は県内でも数少ない認定操体師が行う整体院となりました。
私自身、自己紹介で書いた通り、様々な不調やうつ病など不調のあるタイミングは何度もありました。
その中で今となって思うのは、
「不調は、生き方(人生)の転換期にやってくる」
ということです。
これは、整体の仕事をし始めて、色んなクライアント様を見させてもらっても思うことです。
なにか自分の気持ちを押し殺したり、自分が本当にやりたいことを無視して頑張り続けたり、生き方に無理が多くなってくると体に症状が出始めます。
これは大げさに聞こえるかもしれませんが、人生の軌道修正をしてるとも言えるような気がするんです。
たぶん、不調に悩む前のことを思い返してみると、あなたにも思い当たることがあるのではないでしょうか?
「自分を犠牲にしてまで、人を優先していたり」
「周りの人からは頑張りすぎと言われるけど、あなただけは自分の頑張りを認められてなかったり」
「自分の気持ちを無視して、常に自分を追い込んで、休む時間を作らなかったり」
そんな『無理』が多くありませんでしたか?
あなたが苦しくなるような無理をし続けていると、体は症状や不調を出して、もっとあなたらしく自然で楽な生き方になっていくように軌道修正をし始めます。
なんか違うんじゃない。本当はそうじゃないでしょ?
体を通じて、あなたの心があなたに伝えようとしている。
だからこそ、身体の声を聞いたり、心の声を聞いていくことが必要だと私は考えています。
生きている以上は、色んなことが起こりますよね。今の問題が解決しても、自分のこと以外も関わって、あなたにも悩みが生まれることもあるかもしれない。
色んな環境があって、色んな繋がりがあるからこそ、悩みも尽きないだろうし、その都度、転換期もやってくると思うんです。
だから、今ある不調が治ったら終わりということではないんです。生きているうちは、体に休みはありませんし、色んな出来事があります。もちろん悩みだけじゃなく、嬉しい出来事もたくさん。
その中で、身体の声を聞いたり、心の声を聞いていくことを後回しにして聞けないまま過ごしていくより、これから聞けるようになって、身体と心と上手く付き合っていけるようになっていったら、もう怖いものはないと思うんです。
整体癒し処ゆうひでは、その為のサポートをしています。
自律神経を調整したり、自分で歪みを整えられる方法を教えたり、心をほぐしたり。ただ整えてもらうような場ではなくて、自分と上手く付き合う術を学べるようなちょっと変わった整体院として。
長々と書いた文章を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。このような経験をしている私がお手伝いをさせていただきます。
あなたのことを心よりお待ちしております。
そして私自身、あの辛い時期から抜け出せたのは、いつも誰かが周りにいてくれたから。
あなたにとって、私もそんな存在になれたら、それもまた嬉しいことだな〜と心から思います(^^)
もしこんな私と一緒に、今ある不調や自分と向き合い・寄り添っていきたいと感じてくれたら、まずはぜひ私と繋がっていただけたら嬉しいです。
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最後までご覧いただき本当にありがとうございました。
整体癒し処ゆうひ
代表 佐藤 知幸
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追伸:
当時小さかった子供たちは、現在は中3と中2になっています。
私自身、中学で引きこもっていた経験があるからこそ、中学生として一生懸命な子供たちの姿を見れるだけで嬉しく感じている私がいます。
あの時、人生を諦めずにいてよかった。心からそう想っています。
これまで少人数制の講座や教室を始め、50〜100人規模の場でのワークショップ講師経験など、整体(操体)や心理・HSP・スピリチュアルなどの学びの場を提供してきました。(少なくとも計50回以上開催しています)
講師としてお伝えすることで、私自身の理解も深まり施術にも活かされていますし、主体的に学んでいただける場があることで、より根本的な健康を求める方のサポートが出来ると考えています。
一人ひとりの体と心の健康の為に、講師活動にも力を入れています。