はじめまして!入間市の整体癒し処ゆうひ代表佐藤知幸のプロフィールです。
佐藤 知幸(さとう ともゆき)
1988年9月生まれ(32歳)
青森県出身。
妻と小学5年・4年の息子との4人家族。
パパとして日々子育てと仕事奮闘中です!!
昔からかなりの敏感すぎるタイプ(HSP)です。
資格や勉強してきたこと
- 仙台操体医学院認定操体師
- HSP未来ラボHSPメッセンジャー
- 多次元操体法基礎講座3期生卒
- 埼玉県操体法講習会受講
- 小池術 経営・繁栄術講座受講
- 心屋塾初級セミナー受講
- 心屋塾上級ワークショップ受講
- EFTプラクティショナー
- 直傳靈氣
- 総合手技療法師
- 足ツボ反射療法師
- 理療整体認定
- ツボピストA級認定
- その他の手技療法多数
- 製菓衛生師(お菓子の国家資格です笑)
院長ご挨拶(整体への想い)
はじめまして!埼玉県入間市にある整体癒し処ゆうひの佐藤知幸です。
まずは私の想いからお話せさてください。
どうなったら本当の健康と言えるのか?
私は、本当の健康とはどういうことを言うのか?すごく考えます。それには理由があって、自分の不調経験が関係しています。(その不調の経験はまた後程ご紹介しますね)
当時の私は、うつ病や痛み・症状(腰のヘルニア・坐骨神経痛・頭痛・めまい・耳鳴りなどの自律神経失調症症状・逆流性食道炎・眼瞼痙攣など)をたくさん抱えていました。その時、治そう治そうと必死で苦しかったんです。たくさんのことを試して、色んな出会いがあって、お蔭で段々と痛みや症状がなくなっていきました。
だけどなぜか、また再発するんじゃないかな…、不安と恐怖心で心から良くなってきたことを喜べませんでした。
そんな経験があるからか、本当の健康とは?治ったとは?なんなんだろうとよく考えるようになったんです。
勉強や経験を積み重ねていくにつれて、強い刺激でグイグイマッサージしたり・バキバキ矯正して無理やり変えようとするものや痛みや歪みを無理に取ろうとすることでは根本的に良くならない。
そして、その後の不安と恐怖心もなくならないと知りました。
それではいつまでも治ったと思えないですし、健康だとも言えない…。だから、治ったあとに心から喜べること、この先痛みや症状によって不安にならなくてすむ状態になれる整体院にしたいと思うようになりました。
これが私の整体をする上での想いであり、こだわりでもあります。
改めて、私の簡単な自己紹介をさせて頂きます!
1988年9月生まれ、青森出身(32歳)
青森県で高校まで過ごし、埼玉県のある地域で有名なお菓子屋に就職しました。就職して5年目の春。肉体的・精神的に疲れ、体と心を壊して仕事を続けられなくなりました。そして、自分の治療を続けながら整体の学校に通いはじめました。
整体学校を卒業後、リラクゼーションサロンで努めながら現在の施術法(操体法)を学び続け現在の整体癒し処ゆうひ(旧ゆうひ整体院)を開業しています。
お菓子屋にて勤務している時に結婚し長男が誕生。体と心を壊すほんの少し前、次男が誕生しました。
今は当時の不調はなく、誕生日の時には手作りケーキを作ったり、子供と公園に野球しに行ったり、整体院に来ている方々と一緒に遊んだりしながら、楽しく毎日過ごしています。
簡単な自己紹介はこんな感じです。興味を持っていただけた方、院長のことをもう少し詳しく知りたい方は、もう少し詳しく紹介していきますので、よかったらこの後もご覧ください。
院長のこれまで
整体院に来るとき、どんな人がやってくれるのか?どんな人と一緒に健康を目指すのか?ということも知っておいた方が安心して頂けると思いますので、私のこれまでをご紹介していきますね。少しでもどんな人なのかご理解いただき、少しでも安心して来ていただけたら嬉しいです。
幼少期
だけど、保育園での発表会『おおきなかぶ』では主役を務めるなど、中心には立つのが好きだったような記憶があります。しかし、本番当日なって「やりたくない」と号泣。なんとかやりきりましたが、その時に何かをやる前の不安と恐怖心を知ったのかもしれません(笑)
5歳頃に喘息を発症し、一時入院していました。母親のいない病院でものすごく寂しかったのを覚えています。
学生時代
小学生
この頃は、私の喘息全盛期。春と特に秋には、1ヶ月間くらい発作で苦しさと戦い眠れない夜を過ごしていました。そして、小学生のくせに頭痛持ち。他にも過敏性腸症候群でもありました。緊張したり、楽しみがあるとお腹が痛くなり下してしまいます。(この原因は最近になってHSPだからだとわかりました)
テストの時や試合前。欲しいものを買いに行こうとワクワクして家族と外出した時でもすぐトイレに向かうような状態でした。外出前は必ずトイレで最低でも30分はこもります(^^;
そして、まだまだ人見知り無口。親しい友達とはバカになって大声で遊んでいるのに、新しい人や普段会わない親戚や大人が入ってくると瞬間的に人見知りモードになる子です。
大人しくイイ子でいようとしていたので、お母さん方からまだまだ好かれていました(笑)
中学生
新しい環境で友だちが増えた中学。初めのうちはワイワイ楽しんで新しく出会った子とすぐに友だちになっていました。人見知り無口が少し緩和されていたような気がします。
部活も野球部に入り、1年生からレギュラーに選ばれていました(ちょっとした自慢)。私たちの世代はちょっと強かったので、1年生レギュラーが多かったです。
しかしこの後、私の人生で1番目の闇の時代に突入することになります…
当時の野球は顧問のことで少し問題になっていました。その顧問はよくケツバットをするんです。
2・3年生(当時1年生の私から見たら大人のような体格の生徒)を金属バットでお尻を思いっきり殴っている姿を目の当たりにして、私は怖くなってしまいました。
それから、私がやられたわけでもないのに顧問のことが怖くなり、部活に行くことも怖くなりました。
それと同時に秋の喘息の時期が重なり休みがちになっていったんです。
そして、学校に行けなくなり、私の不登校生活が始まりました。
休みが増えると教室に戻ることも怖くなっていき、かなりの間まともに教室には行けなかったです。
「なんて自分は弱いんだろう、、ホント自分ってダメなヤツだな、親にも迷惑かけて、、、」
そんなことを毎日考え、生きることが嫌になり死ぬことも考えるようになるくらい精神状態はおかしかった時期です。
ただ頻繁に担任が家まで来てくれたり、友達も毎日のように届け物をしてくれたり遊びに来てくれてたり。たくさんの方に助けられながら無事卒業はさせて頂きました。
高校生
中学時代とはうって変わり、毎日休まず通い続けることが出来たんです。今まで迷惑をかけた母親に恩返しするつもりで(いや、申し訳なさから)頑張ろう!と、心の中で誓い通っていたのを覚えています。
部活に勉学(資格も沢山取得しました)と全てを全力で頑張れたと心から想える時期でした。
成績は1番、学校長賞(全校で1番活躍した人?)や精勤賞(1日しか休まなかった)を頂くことが出来ました。
※院長の高校時代の学年は、2クラスで28名(商業科22人、普通科6人)という田舎で育ちました。
卒業後、無事就職…だけど、
高校を卒業と同時に、埼玉県へ出てきました。お菓子屋で働く為に。新しい環境で大変でしたが、初めのうちは楽しかった。
お店での販売(現在の整体院に来られている方の中にも買いに来ていた人がいます)。そして、工場での菓子製造。この販売から製造に変わり少しずつ体調が優れなくなっていきました。(腰のヘルニアや自律神経失調症の症状など)
そんなこともあって仕事を辞めようと思っていました。だけど、結婚もし長男もいる父親という立場。このタイミングでやめるのはおかしいんじゃないか…という世間の目や上司の説得で、仕事を辞めることをやめ、無理やり「覚悟を決め一生この仕事を続けよう」と思い込もむようにして働き続けました。
だけど、会社の上の人(直属の上司や先輩は良い方ばかりでした)への不信感や仕事に対する不満、そして労働時間などによってストレスが溜まる一方。
出勤前のトイレの時間は、逃げたくてしかたなく毎日涙くようになり、人生を終わらせた方が楽じゃないか…と中学時代に経験した不登校の時の自分のように戻っていました。
どうやって人生を終わらせるかばかりいつも考え、だけど、でもそれすら行動にうつす勇気もない。
「なんて弱いんだ、、父親のくせにダメなヤツだな、、生きてる価値ないな」
そんなことをずっと考えていたんですよね。
ある時、また人生を終わらせようとトイレの中で泣いていた時、当時息子はまだ赤ちゃんでしたからちょうどそのタイミングで泣くんですよね。
息子の泣く声が聞こえると、生きないとダメだと思えて、そこで踏ん張り泣きながらなんとか仕事に行ってたのをすごく覚えています。(当時はすごく苦しかった)
そして結果的に、精神的にも肉体的にも限界がきてしまって、出勤前の玄関で泣き崩れて動けなくなり、奥さんに病院に連れて行ってもらいました。
その時にうつ病と診断されたのです。
うつ病治療と整体学校
うつ病と診断され、私は仕事に行けなくなりました。見方によっては「辞めたい」という願いが叶ったのかもしれません。
ただ、その時には子供が2人で次男はまだ0歳という大事な時。当時は自分の事がすごく情けなく恥ずかしかったです。
うつ病の治療は、抗うつ剤や精神安定剤などを何種類も飲む。一日中寝たきり、15キロくらい体重が増え、人とすれ違う時に一瞬意識が飛ぶなどの副作用でも悩みました。
うつ病の治療をし少し経った頃。リハビリも兼ねて何かしなくてはいけないと思い始めた時、整体学校に通いはじめました。
通学中もうつ病治療中でしたので、いつも行けたわけではありません。学校のコインパーキングでふと情けなくなって、泣いていたのも覚えています。母親に電話をし「死んだ方がいいのかな…」なんて連絡したこともありました。その時、母親に泣いて謝らせてしまったことを今でも申し訳なく思っています。
それでも無事卒業でき、リラクゼーションサロンで働き始めました。
念願の再スタート!…しかし
学校で一緒に学んだ方の紹介で、所沢のリラクゼーションサロンで働くことになりました。やっと仕事が出来るというより、仕事をしていない自分が役立たずだと思っていたので、その現状を早くどうにかしたくて無理やり仕事をし始めたような感じです。
正直まだうつ病の治療中で精神的にも不安定。人と関わり仕事をするのは「早いのかも…」と不安に感じならが働き始めました。
それから数ヶ月後…私はやはり行けなくなりました。一緒に働いている人も良い人ばかり、だからこそ本当に自分のことが嫌いになりました。
その後も転々と職場を変え、途中この業界は向いていないのかもと思って、レストランでバイトをして始めました。
そして、転機。恩師との出会い
埼玉県滑川町『なかの整体院』の中野先生との出会いから、私の毎日が少しずつ変わっていきました。
この時はうつ病の治療で使っていた薬を減らしていた最中。薬に頼っても治らないと思うようになり減薬スタート。
師匠のところへは、操体法を学びたいと思っていた時にブログを見つけ、読んでいるうちに行ってみたいと思うようになっていきました。連絡してみると快く時間をとってくれてすぐ操体法を受けに行くことになりました。
初めてお会いした日。
初めて操体法を受けた日。
僕にとって特別な日になりました。
優しく受け入れてくれ、たくさん操体法の味わいを体感させていただきました。
気持ち良さを味わうことで自分の身体が勝手に動き出す体験をし、人見知り無口の私が体でありのままに表現出来た心地よい空間でした。
なかの整体院から帰った後。
近所の河原を自転車で走りたくなりました。
それだけ清々しい心身の安定した状態でいたのだと思います。あの時の風と青空は忘れられません。
私が整体癒し処ゆうひで目指す『本当の治る・本当の健康』の原点はここにあります。
整体の施術を受けにいったのに、体へアプローチしたはずなのに、心まで軽くなるという整体体験。そして、世界観が変わり自分を大切にするようになって、体調や精神状態も安定してきて、人生的にもイキイキと活動することが増えていきました。
こんな風に人生が変わるキッカケとしての整体院になりたいとこの時に思いました。
※後日談ですが、2017年11月になかの整体院は閉院となりました。最後まで繁盛院としてたくさんの人に喜ばれてきた整体院でしたが、以前から好きだった他の仕事にチャレンジする為に整体院を閉めることにしたそうです。中野先生ありがとうございました。
そして、整体癒し処ゆうひ(旧ゆうひ整体院)開業!
沢山の方に救われ、助けられ、乗り切ってきた経験によって出来上がった作品が『今の整体癒し処ゆうひ』です。
今度は僕が悩み、苦しんでいる人を助けるお手伝いをする番だと思っています。
人と比べると、私よりももっとツライ経験している人はたくさんいると思います。だけど、私の経験が誰かの役に立つかもしれません。このページに書いている私の経験を読んでいただいて、あなたに『私の人生も今よりも楽しくなるかも』と思ってもらえたら、可能性を感じてもらえたらすごく嬉しいです。
整体院はあくまで身体からのケアかもしれません。だけど、私自身、整体(操体法)を知ってから人生が好転し始めたと思っています。それは、身体を楽にすることで行動的にもなれた結果色んな人と出会うことが出来たからです。
身体を楽にすることでさらなる可能性を感じてもらって、今の抜け出せない状況から抜け出してもらいたいと心から想っています。
私自身、操体法を通して、身体だけでなく心も楽になり、その人の人生にも幸影響が起こるようなお手伝いをしていきたいと思っております。
ということで、最後まで読んでいただきまして本当にありがとうございました。このページだけでは語り尽くせませんが、少しでも院長のこと、想いが伝わってくれたらと思います。
あなたとの出会いが素敵なご縁となると思っています。
ご予約は勇気がいるという方は、体験なども開催しています。そちらで実際に院長と施術を味わってみてください(o^―^o)
※私のことや考えや健康知識に興味のある方は、アメブロ(ブログ)でも投稿しています。良かったら読んでみてください。
当整体院は、整体の枠を超えてお手伝いしていきたいと思っていますので、操体法だけでなく、ヒーリングや感情解放(EFT)なども学び取り入れています。必要だと感じたことはどんどん取り入れていくスタイルでいます。
(現在は、私自身がHSP(生まれつき繊細な気質)であることがわかり、HSPメッセンジャーとしてもHSPの方の体と心のサポート活動にも力を入れています)
来てくれて方を心からサポート出来るように、日々学び続けます。
長文お読みいただきして、本当にありがとうございました。
※うつ病当時2歳と0歳だった子たちは、元気に小学5年と4年に成長しています♪
整体癒し処ゆうひ
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