はじめまして、佐藤知幸です。周りからはとっちゃんやとも先生と呼ばれています。
このページでは、まだ佐藤知幸のことを知らない方も多いと思うので、自己紹介をしたいと思います(^ ^)
整体院『整体癒し処ゆうひ』を埼玉県入間市小谷田という所で開業し、整体セッションやリラックスが上手くなる教室などを中心に、頑張り屋さんの体と心サポートをしています。
今は整体院さんやボディーワークを行う方が沢山いますが、他との違いとして、”今の自分を受け入れる”を大切にしていること、症状と戦わないで目の前の人に寄り添うこと、そして、心も体と同様に大切に扱うことです。
クライアント様は、女性、頑張り屋さん、繊細気質で人の為を思う優しい方が多いです。繊細気質や優しさゆえの生きづらさを抱えているという方も多いので、そのような方が来院されています。
男性の方もいらっしゃいますが、当院に来られている男性の場合も繊細な感覚を持っていて、色んな事に気づきやすい方が多いです。男性ゆえの社会で強くあらねばというプレッシャーで疲れてしまっている方の心身のサポートもしています。
かれこれ開業9年目に入り、肉体面だけでなく、精神面も含め、お一人おひとりと長く関わらせて頂いています。
整体セッションを受けた方達の変化としては、
○1年以上めまいやパニックで仕事が出来なくて悩んでいたのが、半年ほどで好きな仕事を始められた!
○2年以上原因不明の体調不良で家事も出来ず寝込むことが多かったのが、3カ月後に普通の生活が出来るようになった!
○半年ほど前から自律神経失調症で聴覚過敏で外出することが辛かったのが、1カ月ほどであまり気にならずに外に出れるようになった!
(変化には個人差があります)
ですとか、肉体面の変化以外にも、
○自分を受け入れたれることが増えて、生きるのが楽になった
○自分や物事への味方が変わった
○整体セッションなのに、彼氏が出来て、結婚も出来た!(笑)
という精神面の変化や思ってもみなかった日常の変化を喜んでいる方も多いです。
プライベートな所では、私には中学1年と小学6年の二人の息子たちがいます。子供たちは大きくなり、前ほど遊ぶということは減ってきました。ですが、今でも時間が合えば公園に散歩に行ったり、体を動かし遊びに行きます。
出来る限り、家族との触れ合う時間、一緒の時間を楽しむことを大切にしたいと思い日々過ごしています。
今はこのような仕事をしたり、家庭と楽しむ時間を過ごせているのですが、以前は苦しく辛い日々を過ごしてきたんですよね。
いつも焦っていて、どこか追われている。一人で解決しなきゃという思いも強くて、人と距離を置くことが多く孤独を感じやすくて、生きづらさを感じる毎日。
体も壊しやすくて、心も浮き沈みが多く、うつ病になったこともありました。
当時は本当に辛かったです。何度も心がボキボキッと折れました。
それでも心の奥には『もっとこんな自分でも楽に生きたい!』という想いが強くあって、何度も諦めようと思ったし苦しいことも起こりましたが、それでも大丈夫なんだ!という経験も、それ以上に体験してきました。
要領良く生きられるタイプではなないので、何度もトライ&エラーを繰り返しながら、ゆっくりでも一歩一歩進んできたなあと思うんです。
そこから学んだ、“心の奥の深い所にある『大丈夫』に気づくことで、体も心も人生も楽になっていくんだということ”を私は伝えていきたいと思っています。
整体セッション以外にも、
などの講師活動も行っています。
※株式会社サステナミー代表の皆川公美子さんからインタビューを受けた時の音声
(ラジオ)があります。声から伝わるものもあると思うので、興味のある方は聞いてみてください(^^)
▼ラジオを聞いてみる▼
【HSP働き方人物図鑑4】操体師・佐藤知幸さん、こと、とっちゃん
実は、私は子供の頃から生きづらさを感じてきた人なんですよね。神経質、真面目と言われ、『一人で頑張らなきゃ』と追い込むタイプで、上手く休めないし、自分を責めることが多い。体の弱い、心も弱い、そんな自分が嫌でしかたなかったんです。
そんな子供の頃からずっと悩んできた私が、どうしてこのような仕事をするようになったのか?を話してみますね。
1988年。私は佐藤家の長男として青森県で生まれ、海と山のある自然が豊かな所で育ちました。
家族はこれといって仲が悪いというわけではなかったものの、私が生まれる前から父親は単身赴任で年に数回会うくらい。母親は元々余裕がなくなりやすい人なので、一人で子供たちを3人を見ていたのだから大変だったと思います。
それもあって、家に親がいない時も多くて、留守番や小さい頃から祖父や祖母、親せき、母親の知人の家に、姉弟別々に預けられることが多かったんですよね。
子供ながらに「人の家だから迷惑かけないようにしよう」と気を遣って疲れることが多かったです。
「大人しくて、ほんとイイ子だったよ」
誉め言葉だと思うのですが、外に出たらそうしなきゃいけないと言われているようでちょっと苦しかったです。
意思表示も出来ないし、周りの大人を安心させる為に笑顔に努め、大丈夫を装っていましたが、心の奥ではホント嫌で、帰りたくて仕方なかったんですよね。
学校から祖母の家に下校途中、その通りに自分の家があったんです。カギを持っていない小学生の私は、家の前で「なんで目の前に自分の家があるのに帰れないんだろう」と思い、泣いていたのを覚えています。
あと各家庭の匂いってありますよね?そういったことに敏感で気になるようなタイプだったので、そういう面でも苦しかったです。
仕方ないことではあるけど、子供時代はそういった帰れない、寂しいという想いから、ストレスを良く感じていました。
体調面でも、5歳から喘息持ちで頭痛にもよくなるし、過敏性腸症候群でお腹を壊すことも毎日で。「なんで弱いんだろう。ダメだな」なんて思っている子供でした。
新しいという環境もすごく苦手で、人の感情や空気感が変わるだけでもストレスを感じるようなタイプだったので、中学生になりたての朝はドキドキが大変でした。
小学からやっていたというのもあって野球部に入り、これからという時に耐えがたい光景を見てしまったんです。
それが、今だと間違いなく問題になるような、バットで生徒を殴る(ケツバット)と監督の姿です。怖くてしかたなくなりました。
部活を辞めたくてしかたなかったけど、辞めることを監督に言う勇気もなく、数か月ビクビクしながら耐えてたんです。
だけどそれも限界がきて、1年の2学期頃、部活だけでなく学校にも行けなくなりました。
自分がやられたわけでもないのに、家から出れなくなってしまって、責める必要もないのに自分を責め続ける毎日で。
こんな人生も、こんな自分も終わらせたい、そんなことを毎日想いながら過ごしていたんですよね。
だけど幸い、担任の先生や友達に恵まれて、なんとかお蔭さまで地元の高校に入学することが出来ました。
高校生になってからは、中学時代のことがあったので母親や周りの人に迷惑や心配をかけように頑張ろう!と決めてたんです。
勉強に、資格取得(商業系)、部活と力を注ぎました。
成績はオール5で学年1位、県内ベスト16に入る資格取得数、部活は弱小校ですが4番(野球)と、学校も休まず全て出ました。ほんとよく頑張ったと思います。
充実していて楽しかった思い出が多くあるので、心身共に私としてはイイ時間を過ごせたなと思っています。
だけど、今思うとこの時から『もっと頑張らなきゃ!』と追い込むことが強まっていたのかもしれません。
迷惑かけた母親のもとを離れて早く自立しなきゃと思っていた私は、高校卒業と同時に県外に就職することに決めました。
大学という選択肢もあったのに、先生からは成績がいいんだからと何度も勧めてもらったけど、なぜかその時の私は頑なに就職することにこだっていたんですよね。
はじめての仕事は、埼玉県のお菓子屋さんでした。
仕事が始まり、初めはお客さんを知ることが大切ということで店舗販売員からスタートでした。
真面目な性格と、自分で言うのもなんですが精一杯やる人なので、よく思ってくれる人が多く販売の仕事は楽しかったです。
世間話は得意ではなく会話には苦手意識がありましたが、人と話している時がすごく楽しく感じて、この時の経験が今の仕事にも生きているような気がします。
そして2年目に入り、楽しかった販売からお菓子を作る側になり、少しずつ気になることが増えていきました。
自分の作ったお菓子がお店に並んでいるのを見るのは嬉しかったし、モノづくりは好きなのでそこは楽しかったです。ただ悩みの種は社内の空気感(人間関係)でした。
とある偉い方の社員みんなへの言動があまりにも理不尽で、人としてどうかと思うことがあり、その人と関わりたくないと感じるようになっていったんですよね。
雇ってもらっている恩がある会社だけど、この人のいる環境で働き続けるのは耐えられないし、このままいても未来に光が見えないと思うようになっていきました。
その頃はもう結婚していて、翌年子供が生まれる予定だったこともあって、なかなか辞めるにしても踏ん切りがつかずにいました。
しかし、とあることがキッカケとなって、私はその偉い方を怒鳴り散らしました。その勢いで辞めるとも伝えました。
(とあるキッカケというのは、その人のうちの奥さんへの態度があまりにも酷くて、溜まっていたものもあって耐えられず怒鳴ってしまったんです^^;)
だけど数日して、直属の上司の説得を受け、突然怒鳴ってしまったことは悪かったなとも思っていたので、謝罪に伺うことにしました。
正直、本音で言えば謝りたくはなかったです。なんでこっちが頭を下げないといけないんだろう…と思ったし、悔しくて、悲しくもなりましたね。
そして、結局仕事を辞めることもなかったことになったんです。
自分の気持ちを無視して、この決断を選んだことによって、この先が大きく変わったんだと思います。このあとの私は後悔することになりました。
あの謝罪を機に、この仕事を続ける限りは自分がどんなことを思っても、もう自分の意見は言えない、出せないと思い込んでしまって。
だから、さらに自分のことを無視し続け、感情を捨てて、その場の雰囲気を壊さないよう、人に合わせ、不満や理不尽なことがあっても、ただただ仕事を続けるしかないと思って過ごしていました。
当たり前かもしれないけど、そんな人生生きる気力が湧きません。
そのうち体調がおかしくなり、休日は病院で検査の日々。血液検査やMRI、CT、胃カメラなど、検査の予約も毎週あり、色んな病院も転々とするようになっていきました。
(当時の不調は、頭痛、めまい、耳鳴り、冷え、立ち眩み、瞼の痙攣、下痢と便秘の繰り返し、動悸、息切れ、だるさ、睡眠障害、体重の過剰な減少:1週間で6kg減、アレルギー症状、喘息、焦点が定まらない、ぎっくり腰、4・5番の腰椎椎間板ヘルニア、坐骨神経痛、股関節痛、首の痛み、胸部出口症候群、肩の痛み・慢性のコリ、皮膚のかぶれetc.)
病院に行く為に仕事してるのかな?そう思ってしまって、さらに生きる気力がなくなっていきました。
だんだんと自分が壊れていくのを自分でも感じるようになって、職場だけでなく、家庭の中でも笑顔が消えて。
「自分の人生、ずっとこのままなのかな…」
そんな風に思い、泣くことしかできなくなっていったんです。
ただ、こんな状況であっても、悲しいですが仕事は手を抜けない。
一緒に働いている人には迷惑かけられないから、真面目に、必死に人一倍頑張るしかない。もっと頑張らなきゃ!
仕事はしっかりやっていたので、上司や周りの人からの仕事の評価は良かったです。だけど、それはどうでもよくなっていました。
心の余裕も、人間らしさも消えてかかってきて、何のために生きているんだろう?いつも頭の中で流れていました。
そしてある日の朝です。玄関で涙が止まらなくなり、体も動けなくなり、私は壊れました。
妻に病院に連れていってもらい、そこで『うつ病』と診断を受けたんです。
子供たちは2歳と0歳。これからという時に、壊れた状態で無職になりました。
うつ病と診断を受けたあと、人目を気にして早く社会復帰しよういう想いはありましたが、そう簡単にはいきませんでした。
長い間、自分の気持ちを無視して、無理やり頑張らせてきた結果、その時の私は、もう頑張れなくなっていました。
少し無理をするだけで、体調も気持ちもドーンと落ちて引きこもるような状態になったり、外に出ても橋の上で良くないことを考えたりする状態です。
それでも、気持ちは焦るので、頑張らなきゃとまた頑張ろうとする。でもすぐ頑張れなくなる。その繰り返し。
一人でどうにかしよう。迷惑かけちゃいけない。
人に相談するのは昔から苦手であまりしてこなかったのもあって、こんな辛い時でも人に頼ることを拒んでいました。
どこか心の中で、私の味方はどこにもいないとも思っていたんでしょうね。
でももう、一人ではどうすることも出来ないと思うような状態になったことで、重い腰を上げて、前から気になっていた整体院に行くことにしたんです。
この後の出会いが、私の人生に光が射すことになりました。
仕事を辞めて少し経った時から、自分の身体の不調からも健康のことに興味あったので、社会復帰のリハビリも兼ねて整体を学んでいました。
2012年頃、操体法(そうたいほう)という整体療法が気になっていて、学べるところを探していたんです。
たまたま埼玉県内にあった整体院に、自分の体のケアと勉強を兼ねて予約を入れて行くことになりました。
そして、初めて伺った日。初めて操体法を受けたこの日は、私にとって特別な日になりました。
はじめて施術を受けた時の感想は、『すごい!』の一言。
ただただ楽さ・気持ち良さを体を動かしながら味わうだけなのに、
「頑張らなきゃ!自分を変えなきゃ!そんな風にずっと力んでいた私」の体の力みがとれ、追い込まれていた心も軽くなっていきました。
体をもみほぐしたり矯正して、肉体を楽にするのが整体院だと思っていたので、心まで軽く楽になる整体院があるんだ、こんな世界があるんだ!驚きと嬉しさを感じたのを覚えています。
そして、そこで教えてもらったのは、
「身体の症状や痛み歪みは、自分を守る為に出しているんだよ。
今ともゆきさんは、うつ病や身体の辛さで悩んでいるでしょ。それもね、最初はともゆきさんを守る為に身体が出してくれたんだよ。
前の職場で、そこに居たくないのに頑張って居続けたよね。苦しくても、逃げないでやってきたよね。本当によくやってきたよね。
でも辛かったんだよ。無理してきたんだよ。それはともゆきさんも感じていたでしょ?
だから、身体はそれを知っていて、その場から離れたいと思っているともゆきさんの代わりに、症状を出して離れさせてくれたんだよ。
守ってくれていたんだよね。」
そのようなことは、今まで考えもしませんでした。
お菓子屋さんで働いていた時のあの「自分の気持ちを無視して頭を下げ、辞めたかった自分を辞めさせなかった私」の変わりに、身体が強制的にその場から離れさせてくれたんだと思ったら、
涙が出てきて、体への感謝の気持ちが湧いてきて、自分に対して「ごめん」という想いが溢れてきました。
もしかすると、この操体法という整体を通して、自分の体の声や心の声を聞いていくことが、今の私にとって必要なことなんじゃないかな?そう感じました。
この時は、まだ仕事をしてなかったので、金銭的に余裕はありませんでした。
だけど、ターニングポイントになると感じたので、貯金を切り崩しながら、毎回家から1時間かけて、自分のケアの為の整体施術と技術習得の講座に1年以上通い続けたんです。
子供も小さいし、先も見えない中で始めるのはとても怖かったですけど、今となってはこの時自分を信じてやってよかったなと心から感じています。
この時の出会いがその先の活動の主軸なり活きていくことになります。
※後ほど2016年〜2018年の間に、操体法の本場である仙台に通い、操体法創始者:故橋本敬三先生の晩年の直弟子である今昭宏先生、多次元操体法創始者:上川名修先に師事し学びました。当院は県内でも数少ない認定操体師が行う整体院となりました。
師匠と操体法に出会い、まずは自身を楽にしていくことに専念しました。体だけでなく心も含めて、生き方を楽にしたいと思うようになったんです。
そもそも体だけの問題でもない、かといって心だけの問題でもない。
操体法を学んでいくにつれて、今までの自分との関わり方や、自分のこと(本音や想い)を知らなさすぎることが影響していると思うようになり、自分と対話すること大切にしていきました。
決して順調にいったわけではありませんが、自分と対話することで、まず体の不調がほとんど改善していきました。
仮にちょっとした症状が出ても、すぐに対応できるようになったし、自分にとって症状は悪者ではないとわかってから、安心して体のことを見ることが出来るようになったのは、私にとってすごく嬉しいことでした。
心に関しては、まだ浮き沈みはあったものの、捉え方が変わっていくにつれ、極端な落ち込みはなくなっていきました。
うつ病の薬の副作用の影響によって時間はかかりましたが、バイトが出来るような状態にはなっていきました。
自分の楽になった経験をもとに、この操体法を仕事に出来たらなと思うようになって、整体を仕事にしようと決めたんです。だけど、そう簡単には行きません…。
リラクゼーションサロンで働いたり、レストランで働いたり、色々ありながらも2014年。有り難いことに、奥さんの実家にあるお茶室を貸してもらえることになるという幸運も重なり、自分の整体院を開業することが出来ました。
正直、操体法を行っている整体院は数が少ないので、そういった整体院で修業はしていませんでした。
リラクゼーションサロンで働いていた経験がありますが、そこではもみほぐしの施術しかしておらず、操体法一本で整体院をやっていくのは何もかもが初めてです。
操体法はずっと学んでいたし、身近な人に受けてもらったりと、ある程度経験は積んでいたのですが、右も左もわからないような状態でのスタートには変わりなく。
だけど、その不安はありつつも、気持ちとしては『自分もやっと人の役に立てる仕事が出来る』という希望の方が大きく、やる気に満ち溢れていたのを覚えていきます。
開業して少し経つと、
奥さんに支えてもらいながら来院されたぎっくり腰の旦那さんが、施術後にその場で駆け足の足踏みをして喜んでくれたり、
車の事故以来とれたことがない首の痛みが、施術1回目からなくなってしまったとか、
施術を受けて目を閉じている最中に「僧侶が見えた」とか、「宇宙を飛び回っていた」とか、「突然兄が目の前に出てきてなんか伝えようとしてきた」とか、お一人ですが「霊が憑りついているのが抜けていった(※その目的ではやっていませんし受付てもいません)」(笑)なんて方もいました。
他にも、「今から辞めたかった仕事を辞めると職場に伝えようと思っています。先生に背中を押してもらおうと思ってきました」と来られる常連さんもいました。
わからないなり、出来ることを精一杯やっていたら、私の力量以上の結果が出ることもよくあって、面白い体験をいっぱいさせてもらいました。
やりがいのある仕事に出会えて良かった!そう思っていたのですが、忙しくなるにつれて、また気持ちが焦り出し迷いが増えていきました。
もっと頑張らなきゃ!もっと役に立たなきゃ!もっと、もっと!そんな風に考えることが増えていき、頑張るのに上手くいかないことが増えて、苦しくなることも増えていきました。
その都度、
「早く解決しないと!上手くいかないのは頑張りが足りないからだ!もっとだ!」
「あれもやろう!これもやらなきゃ!休んでる暇はない、、!もっと、もっと!」
焦りと苦しさを解消する為に、色んな講座を受けたり、読みたくない本も知識をいれなきゃいけないと思い込んで読み漁り。
“もっと頑張らなきゃ”という思いに駆られていました。
そしてある時、今思うとよくわからない一文だったのですが、批判のような内容のメッセージが、整体院宛のLINEに送られてきたんです。
それを読んだ時、頑張りすぎて無理が溜まっていたのか、自分の中でポキッと折れ、整体院をやめたくなってしまったんです。
この時、うつ病になった時と同じような追い込まれた状態になっていたことに気づいて、クライアントさんを救うとか、助けるなんて言っておきながら、自分は変わってないんだな…ダメだなって、さらに落ち込んでしまったんですよね。
「この姿を見たら、クライアントさんは安心しないだろうな…」
「この先生に任せたくないよな…」
「弱い自分じゃダメなんだろうな…」
申し訳なくなって、こんな自分がやっていいのか本気で悩みました。
だけどその間も、常連さんは来てくれていて、毎回喜んでくれて「先生と会うと元気になる、ありがとう」って言ってくれて。
来てくれていた方のお蔭で、まだ続けたいという気持ちが湧き上がってきました。
そして、「また頑張ろう!」そう思った瞬間、ふと前向きな気持ちだけでなく、「なんか、おかしい…」という違和感も一緒に感じました。大切なことがここにあるような気がしました。
当たり前のように、『もっと頑張れ!』って心の中や頭の中で言っていることに気づきました。しかも、応援というよりは、ダメ出しです。
少し心の中を見てみた時、今までやってきた自分の頑張りを認めてこなかったことに気づきました。
昔から『もっと頑張れ!』は心の中や頭の中でずっと自分に言っていて、それによって追い込まれているんだと思ったんですよね。
この生き方を続けていては、また限界が来る。
そう思って、心の中で自分に「よく頑張った!よくやっているよ!」と認めようと言葉をかけ続けたら、自然と涙が溢れてきました。
認められたい、評価されたい、そんな気持ちが出ててきて、その為に頑張っていたんだなってわかりました。
実際、色んな人に喜んでもらえていたし、関わってくれる人もいっぱいいたのに、そう思ってしまう自分がいたんですよね。
自分が一番、自分の頑張りも認めていなかったし、評価していなかった。
ここはもう変えていい所だなって感じるようになった時、自分の頑張りや自分を受け入れることを後押ししてくれる“ある体の仕組”に出会いました。
とある講座を受けた時、神経学的な仕組の話しを聞きました。
生きやすさと自律神経の仕組です。
簡単に言うと、発達過程で自律神経の調整力という『緊張とリラックスのバランス調整機能』が上手く育っている人ほど生きやすくなるということ。
例えば、緊張するようなことがあったとしても、終わったらすぐにリラックス出来る人は引きずりません。体も休まるし、心も落ち着きます。人と会っても安心して関われるので、社会との繋がりでも心地良くいることが出来る。
だけど、私のように「余裕がなくなりやすくて、休むことを忘れてもっと頑張ろうとしてしまい、限界がきやすい人」は、神経が高ぶりやすくて一度緊張するとリラックスに戻りにくい神経になっている。体も心も休まりにくいから、体が強制的にあなたを休ませようとする。
これは以前、操体法の師匠から聞いた、
「身体の症状や痛み歪みは、自分を守る為に出しているんだよ。
今ともゆきさんは、うつ病や身体の辛さで悩んでいるでしょ。それもね、最初はともゆきさんを守る為に身体が出してくれたんだよ。
前の職場で、そこに居たくないのに頑張って居続けたよね。苦しくても、逃げないでやってきたよね。本当によくやってきたよね。
でも辛かったんだよ。無理してきたんだよ。それはともゆきさんも感じていたでしょ?
だから、身体はそれを知っていて、その場から離れたいと思っているともゆきさんの代わりに、症状を出して離れさせてくれたんだよ。
守ってくれていたんだよね。」
と一緒で、神経学的にみてもそうだったってこと。
この神経の状態だと、社会の中で何か行おうにも、また強制終了が来たり、疲れやすいから安心して人と関わりにくいですよね。そして、余計にもっと緊張してしまい、悪循環にはまってしまう。
ここから感じたのは、私は自律神経の調整力が上手く働いていなかったことで、いつも神経的に不安状態だったから、無理をしていて頑張らなきゃやってこれなかったということでした。
神経的に見ても、社会の中で私が生き残る為に『頑張ること』は必要だったということですよね。
私が社会で生き残るには頑張るしかなかったとわかったら、今までの頑張りも認められて、少し心が軽くなりました。
そして、このパターンは、神経の調整力を育てることで手放すことも出来ると知りました。
この仕組を知った時、私は『今よりも楽に生きられるんじゃないかな』と希望を感じられたんですよね。
治すとか、正すとか、強くするとか、今の自分を否定して頑張って変えるのではなく、今や今までの自分を受けれながら、じっくりこれからの自分を育てていく。
なんか優しい感じがしたし、この仕組や考えを元に活動していけたら、自分も楽に楽しく活動できるんじゃないかな?と思うようになりました。
自律神経の調整力を育てていくことは、私だけじゃなく、頑張りすぎて自分を追い込んしまう人たちにとって、とても重要なことだと思いました。
育てていく時に必要なのは、神経を休ませる時間を取ることや日常に安心を増やしていくこと。
すごくシンプルだけど、たぶんやれている人って少ないんじゃないかなと思うんです。
私自身、もっと頑張れ!となっている時は全然やっていませんでした。意識的に取り組むようになってから、今までどれだけ不安や緊張の中で生きていたのかがわかり、そりゃ苦しくなるよなって自分に寄り添うことが出来ました。
焦りの正体や頑張りすぎて自分で追い込んでしまう理由もわかり、神経を見ていくことで「なんかおかしい…」と思っていたあの違和感もスッキリしました。これも私の人生のターニングポイントになったと思っています。
操体法も自律神経の調整力を育てることになるとわかり、より一層自分の活動に自信が持てるようになっていきました。
私自身、全然完璧な人でもありませんし、悩みがゼロの人でもありません。現状、まだまだ頑張って無理をすることも多々あります(笑)
今も『自分を受け入れ、自分を大切にする』ことをテーマに生きている人の一人です。
だけど、自分に優しくするようになって、以前のような様々な体の不調もなくなりました。そして、悩むことも格段に減りました。
私の中で一番大切だと思っている家族の笑顔も、たくさん増えました。これが私の中では一番嬉しかったことです(笑)
『自分を受け入れる』ということは、体も楽にするし、心も軽くする。そして、これからの人生を楽に、楽しくもしていく可能性があるってこと。
そして他の整体とは違い、症状と戦ったり、単に歪みを整えようとするものではなく、心にも寄り添い、人に寄り添い『自分を受け入れ』、本当の意味で目の前の人を楽にするサポートがしたいと思っています。
その為に整体癒し処ゆうひでは、
この2つを柱にして、自分を受け入れていきながら、『今よりも楽に、そして楽しんで生きていく』そんな人を増やしていきたいです。
寂しさを感じていたあの頃。孤独を感じていたあの頃。生きることが諦めようとしていたあの頃。
あの時があって良かった!と素直に思えたらいいけど、正直、すんなり受け入れられない自分もまだいます。
その中で、一つひとつの経験があったから、今の自分がいることは確か。何と言われようと、それは事実ですよね。
これからも悩むことだってまだあるでしょう。壁にぶち当たることもあるでしょう。
要領よく生きられない私だからこそ、また何かをキッカケに心が折れそうになることもあるかもしれない。
だけど、子供の頃からの経験があって、今の自分がいるという事実があるように、これからの経験が未来の自分を作っていくのも確かです。
だとしたら、未来の自分はどんな風になっていてほしいかな?そんな風に考えた時、私はやっぱり『今よりも楽に、そして楽しく生きている自分』になっていてほしいです。
その為に、辛くて動けない時は休んだっていいし、一人で乗り切れないのであれば人の力を借りたっていい。
そういう時もあっていいと思うんです。
出来る限り、すでにいっぱい頑張っている自分を、これ以上追い込まないであげて、安心を与えていきたい。これからはそうしていきたい。
もし、今、身体が辛くなっていたり、心まで苦しくなってどうしようもなくなっているのであれば、子供の頃から今までの経験や学んできたことを活かして、そういう人の力になりたいと心から想います。
私自身、一人で頑張らなきゃと思ってやってきた人だけど、こうして振り返ってみると、あの時もその時もいつも誰かの力に救われてきたんだなってすごく感じます。
私も、あなたにとってそんな存在になれたなら、これほど嬉しいことはありません。
もし私の想いに共感してもらえたら、ぜひ繋がって頂けたらと思います。
一緒に、もっと楽に生きられる自分になっていきませんか(^ ^)?
最後まで、読んでくれてありがとうございました。
あなたとお会いできる日を楽しみにしています。
うつ病不登校を経験した繊細男子
自分取り戻しセラピスト
佐藤知幸
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